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2010年05月09日

2010年5月8日 高知研修

2010年5月8日 高知研修
桂浜の坂本龍馬像


今回の活動は、スリーピース研修として高知に行ってきました!!!


2010年5月8日 高知研修
坂本龍馬記念館入口


2010年5月8日 高知研修
記念館前で記念撮影


2010年5月8日 高知研修
マッチ棒で描かれた坂本龍馬


2010年5月8日 高知研修
実物大セットで復元された「近江屋」


坂本龍馬は何をした人なのか!?
「龍馬は江戸幕府を倒すきっかけを作った人」といえます。当時の幕府は外国の要求を拒絶する力が無く、諸藩をまとめる力も弱くなっていました。しだいに、このような幕府では日本を守れないと考え、幕府を倒して天皇の下に統一された国家が必要だと考える人が現れました。龍馬もその一人でした。
龍馬は幕府を倒すために、まず幕府と対抗できる大きな力を持った薩摩藩と長州藩の同盟を成功させます。薩摩藩と長州藩は後々、武力によって幕府を倒そうと考えますが、龍馬は国内で戦争をしてはいけないと考えていましたので、平和的な倒幕である大政奉還を土佐藩に提案します。この案は土佐藩から徳川慶喜に進言され、慶喜もこれを受け入れて、形式上は幕府が消滅しました。そして、龍馬は新政府が進むべき道を船中八策によって示しました。
坂本龍馬記念館HPより抜粋


船中八策
1.政権を朝廷に奉還し、政令は朝廷より出すべき事(大政奉還)
2.上下議政局を設け、議員を配置して政事を参照し、政事は公議を以て決定する事(議会開設)
3.有能な公卿諸侯その他の才人を顧問として官爵を賜い、従来の有名無実な官位は除くべき事(官制改革)
4.外国との交際は広く公議を採り、新たに至当な規約を成立せしむ事(条約改正)
5.古来の律令を折衷し、新たに法典を撰する事(憲法制定)
6.海軍を拡張する事(海軍の創設)
7.御親兵の設置を以て帝都の守衛をなす事(陸軍の創設)
8.金銀物価は外国と均しく法を設ける事(通貨政策)


龍馬がが起草した新国家体制の基本方針とされるものです。
前土佐藩主の山内豊信(容堂)に対して大政奉還論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎に対して提示したものを海援隊士の長岡謙吉が書きとめ、のちに成文化されたものと言われています。
私はこの点にとても感銘を受けたのですが、当時の日本には、倒幕を考える人はたくさんいたのですが、龍馬は倒幕後の日本を考えて船中八策を起草したのです。
龍馬と言う人物は、本当に日本の将来を良くしていきたいと考えいたんですね。男としての器の大きさに自分も学ぶ所がたくさんありました。




昼ごはんには、自分でカツオを焼くお店でカツオのたたきをいただきました(^◇^)


2010年5月8日 高知研修
お店の外観


2010年5月8日 高知研修
ワラでカツオを焼く風景


2010年5月8日 高知研修
お店の方にカットしていただく


2010年5月8日 高知研修
できあがり!!!




午後からは桂浜に行きました(^O^)/


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


天気も恵まれとっても奇麗な景色でした。
ツイツイ水平線を眺めながら、龍馬はこの景色を見ながら何を思っていたのかと考えこんでしまいました(笑)





もちろんスリーピースはこのまま帰りませんよ(^◇^)
恒例の清掃活動



2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修


2010年5月8日 高知研修
清掃終了後に記念撮影




そして、最後は岩崎弥太郎生家にいきました。


2010年5月8日 高知研修
三菱関係諸会社有志によって建立された岩崎弥太郎記念碑


2010年5月8日 高知研修


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2010年5月8日 高知研修
三菱グループのスリーダイヤは、岩崎家(旧三菱財閥創業家)の家紋「三階菱」と、山内家(土佐藩主家)の家紋「三つ柏」から考案されたものである。始めは九十九商会の船旗号として採用され「三角菱」と呼ばれた。




岩崎弥太郎とはどんな人物なのか!?


2010年5月8日 高知研修


三菱(みつびし)財閥の創設者。号は東山。天保(てんぽう)5年12月11日、土佐国安芸(あき)郡井ノ口村(高知県安芸市)の地下(じげ)浪人で上農の弥次郎の長男として生まれる。
安政元年(1854)、江戸遊学前に、近くの妙見山の星神社に参拝した弥太郎は、扉に「後日 英名ヲ天下ニ轟カサザレバ 再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と大書。大きな志と強い意志を胸に、江戸の安積艮斉に入門しました。しかし翌年、酒席の喧嘩がもとで父親が投獄されたのをきっかけに、帰省。あまりに激しい免罪の訴えが奉行所の怒りを買い、やがては彼自身も獄中の人となります。安芸郡を追放された彼は吉田東洋と出会い、それを機にあらたに飛躍の道を拓いたのでした。
その後、東洋の後を受け継いだ後藤象二郎の下で、弥太郎は次々に才覚を発揮し、長崎に設立した土佐商会で腕をふるった後、明治6年(1873)三菱商会を設立。以前に長崎で坂本龍馬から得た示唆により海運業に着眼します。そして、幕末から続く諸外国の汽船会社などとの激しい戦いを制し、"東洋の海上王"と異名をとるようになりました。
明治18年、享年52歳。疾風のごとく世界を駆け巡った異才、岩崎弥太郎は生涯を閉じますが、死の床で「東洋の男児」と叫んだという熱き志は、弟、弥之助にしっかりと受け継がれ、鉱山、造船、不動産、金融へと拡大し、世界に名だたる現在の三菱グループへと発展してゆきました。
安芸市立歴史民俗資料館HPより抜粋


いやー、今回はとても楽しく勉強になった研修となりました。
歴史の人物に触れるだけで満足するのではなく、学んだ事を生活や仕事の中で、どのように活かしていくかが大切だと思います。私も龍馬のように日本の将来を考える事の出来る人間になれるよう努力をおしまず、日々精進していく所存でございます。
スリーピースメンバーの皆さまお疲れ様でした(^○^)






感銘を受けた言葉
「今一度日本を洗濯致し申し候」
坂本龍馬


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Posted by スリーピース at 17:48│Comments(0)研修
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