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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年12月06日

2010年12月5日 DVD上映会



今回の上映作品
『ダーウィンの悪夢』(Darwin's Nightmare)


舞台はアフリカにあるタンザニア

そのタンザニアにあるビクトリア湖には、かつてナイルパーチと
言う外来種の巨大魚(肉食魚)は生息していなかった。

ある時、誰かがバケツ一杯のナイルパーチをビクトリア湖に
離したのです。

ナイルパーチは、そこに生息していた魚を食べ、増殖し、
生態系を崩していく




物語はこれで終わらない

このナイルパーチは思わぬ経済効果をもたらすのです。

ナイルパーチは食用として重宝されるようになり、
現地工場で加工し、EUや日本などの先進国に
空輸で大量輸出されるようになるのです。

一日最低500トンのナイルパーチを水揚げし
毎日200万人の白人がこの白身魚を食べている

ビクトリア湖周辺ではナイルパーチが
雇用、金、食料を生み出す構造となっているのです。






しかし、その経済的な恩恵は一部の人間しか受ける事が
できない

ナイルパーチの身の部分は高額な為、輸出専用として加工

現地の人が食べられるのは、頭と骨のみ

1日1ドル以下で生活をしている人がほとんどの状況



子供たちは、まともな教育を受ける事ができず
食料をめぐって殴り合いのケンカ

不安や恐怖から逃げるため、プラスチックフィルムを溶かした
液体の匂いを鼻から吸い込む事により現実逃避
(麻薬のような効果)



また、ビクトリア湖周辺の漁師たちの村にはエイズが満盈
(まんえい)

その村に来る女性たちは、ほとんどが売春婦

漁師の夫は売春婦を買い、エイズにかかり亡くなっていく
        ↓
残された妻は、食べて行く為に売春婦となる
        ↓
さらにエイズにかかる漁師が増加





先進国へ空輸でナイルパーチを輸出するのですが
先進国から飛んでくる飛行機には武器や弾薬が積まれており
その武器や弾薬は、アフリカ諸国に密輸されているのです。

つまり先進国からすればビジネスとなっているのです。


ある施設の守衛を務める、ガードマンにこう言う質問を
しました。

Q.戦争に行きたいですか?

『戦争に行きたい』

更に男性は続けて、こう言いました。

『政府は兵士には高額な給料を払う、人々は戦争を
望んでいる、戦争は怖くない』


このように、この映画には、繁殖したナイルパーチを通して
グローバル経済の引き起こす様々な問題や実際に
起こっている現実が描かれております。









上映会終了後は各自が感想を語り合う


「先進国の人々が豊かな生活をする為に、新興国の人々が
くるしんでいるそんな皮肉さを感じた」

「環境・社会問題・貧困などが全て繋がっていると感じた。
環境とこう言った問題は切っても切り離せない問題なんだなって」

「魚を持って帰る事が目的なのか、それとも武器や弾薬を
持ってくる事が目的なのか」

「武器が目的ではないか
武器を密輸する事が本音、魚を持って帰る事は建前」

「いや、両方じゃないんですか」



「日本にいたら、周りの国の事を知らなくても、関わらなくても
生きていけるけど、もっと日本の人たちに知ってほしいと
言うか、知ろうとして欲しい」

「さっきガードマンの男性が戦争に行きたいって
言ってたじゃないですか、それって、
今のこの状況がいいって感じているってことなのかな?」

「それは戦争があって、その戦争が儲かると言う状況が
あるところで生きているから、そう思うだけで、
あの男性がもし日本に来て、チャンスがもらえて、
普通に仕事ができて働いてお金が得られる社会だったら
戦争に行きたいって言わないと思います」

「仕事もない、お金もない、食料もない、不衛生な状態で
生活していて、それが本当に幸せなのか?
自分は違うんじゃないかなって、現地の人たちは
どう思っているかは分からないけど...
自分たちに、もっと出来る事あるんじゃないか」


「でも、外から変えても本当の意味では
変わらないのではないか?」

「確かに、先進国の人たちだけが潤うような関わり方を
したら、なにも変わらないと思うけど、
大事なのは、どうやったらこの国はよくなるのかを考えて
前向きに関わっていくことが大切じゃないですか」

「それに関わらないって言っても、自分たちが知らないうちに
関わっていますからね、名前もわからない白身魚を口に
しているんですから」

「そうだな、物事は良い方に考えていかないと、
悪い方の事ばかり考えていても一歩も前に進まないな」

「自分たちが関わっていくなかで、
現地の人たちが変わらないと思っていたら本当に変わらない
本当に変えられると思えば、人は変われると思うだよね、
違うかな」



「今日、このような映画をみて、これが貧困かって
思ったんですよ」

「こう言う現状をたくさんの人に知ってもらうって言う活動を
していけたらと思いました」

「自分もそう思います。
結局、自分たちが今できる事って考えたら、
なかなか現地に行って
何かをするって言うのは難しと思うんですけど、
今回のようなDVD上映会に色んな人に来てもらって、
一緒に見てもらう事で、まずはこの世界の現状を
知ってもらう事、それが一番最初だと思うんです」

「日本人の方が、そう言った現状を知らないのであれば、
1人でも多くの人に知ってもらう活動をしていって
色んな人がドンドン集まっていけば、
こうしよう、ああししようって、議論できると思うんですよ
ですから、まずは知ってもらうってことからではないかと
私は思います」



参加されたメンバーの皆さま長々とお疲れ様でした(^O^)/

今後もこう言った活動を続けて行きましょう!!



感銘を受けた言葉
幸福になりたいのなら、まず、
人を喜ばせることからはじめなさい
プリオール
  


Posted by スリーピース at 22:11Comments(0)DVD上映会

2010年09月05日

2010年9月4日 DVD上映会



第2回スリーピースDVD上映会を男女共同参画センターで開催しましたチョキチョキチョキ

今回の上映作品


『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の米国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。

カンボジア人助手のプランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働に就かされた経験を持つ。演技は素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。





上映前の説明


背景とあらすじ

[1]ベトナム戦争
第二次世界大戦の終了した1945年9月、それまでフランスの植民地だったベトナムは、ベトナム民主共和国の独立を宣言しました。しかし、フランスはこの独立を認めないために、翌年ベトナム南部にコーシチナ共和国を樹立。両者は対立し、1953年まで7年間の戦争が始まりました。(第一次インドシナ戦争)

西側:コーシチナ共和国 それを支援(操る)フランス、それをバックアップするアメリカ
東側:ベトナム民主共和国 支援するソ連、中国

1954年、フランス軍の要塞ディエンビエンフーが陥落し、ジュネーブで停戦協定が結ばれ、第一次インドシナ戦争が終結。
南北ベトナムは北緯17度線で分断され、社会主義の北ベトナム(ベトナム民主共和国:首都ハノイ)と南ベトナム共和国(首都:サイゴン=現在のホーチミン)という2つの国が生まれた。
北は共産圏諸国から、南は西側(主にアメリカ)から援助を受けます。
1963年に南ベトナムの政権はクーデターで崩壊します。でも、アメリカはそこを付け込まれて、ベトナム全土が共産化するのを恐れました。「ドミノ理論」と言って、ベトナムが共産化すればアジア中が共産化する流れができる、だからベトナムを死守せねば、という理屈で。
1964年、アメリカは南ベトナムの共産化を防ぐとして、とうとう本格的な軍事介入を始めます。
これがベトナム戦争です。

南ベトナム、アメリカ、韓国、中華民国、オーストラリア、フィリピン
タイ、ニュージーランド、クメール共和国、ラオス王国
VS
北ベトナム、南ベトナム解放民族戦線、民主カンプチア、パテート・ラーオ
ソビエト連邦、中国、北朝鮮

[2]カンボジアの中立政策
当時の国家元首だったシアヌーク殿下は東西冷戦の中ではどちらのも属さず
中立政策をとっていました。
ベトナム戦争中に南ベトナムでアメリカ軍に追われた南ベトナム解放民族戦線がカンボジア領内に逃げ込むのを認めながら、その一方で北ベトナムが軍事物資をカンボジア国内の港で荷揚げし、カンボジア国内を通って南ベトナムで戦闘中の南ベトナム解放民族戦線に届ける事を認めたのです。

[3]アメリカによるクーデター
ベトナム戦争を戦っていたアメリカは、このシアヌーク殿下の方針を気に入りませんでした。
ベトナム国内でいくら南ベトナム解放民族戦線を追い詰めても、第3国であるカンボジアの領内に逃げ込むと手が出せないからです。つまり「聖域」になっていたのです。
このためアメリカのCIA(アメリカ中央情報局)は、カンボジア政府軍の幹部をそそのかしクーデターを起こさせます。
1970年、シアヌーク殿下がモスクワ訪問中にロン・ノル首相がクーデターを起こしたのです。
ロン・ノル政権は早速、アメリカと共同でカンボジア領内にいる北ベトナム軍、南ベトナム解放民族戦線に攻撃を開始したのです。

[4]カンボジア国内内戦激化
祖国を追われたシアヌーク殿下は中国政府の全面支援を得て北京に住み、ここで、それまでカンボジア国内で自らを弾圧してきたカンボジア共産党と共闘して反ロン・ノル統一戦線「カンプチア民族統一戦線」を結成したのです。
カンボジアの農村地帯でのシアヌーク殿下の人気は高く、反ロン・ノルのゲリラ活動は農民の支持を得て国内で勢力を伸ばしていきます。この時の活動の中心になっていたのは、ポル・ポト指揮するカンボジア共産党とそれを支援する北ベトナム兵でした。
1975年4月17日「カンプチア民族統一戦線」の軍隊はカンボジア首都プノンペンに突入しロン・ノル政権を崩壊させました。

[5]ポルポト政権誕生
「これで内戦が終わる」と喜んだ市民はポル・ポト率いる軍隊を歓迎します。
しかし翌日から市民たちの運命は暗転するのです。プノンペン市民200万人は1人残らず市外に追い出されます。入院している病人だろうと、高齢者だろうと、幼児だろうと一切の例外は認めず反抗するとその場で殺されました。
ポル・ポトとその仲間たちにとって都市の住民は敵でした。
自分たちが農村で戦っていたのに対して、プノンペン市民は戦場から逃げ出し、都市でのうのうと暮らしていた事が許せなかったのです。またポル・ポトは200万人の市民を農村で新たな農業労働力として利用しようとも考えていたのです。



ポルポト


[6]原始共産制
政権を握ったポル・ポトは、原始共産制とも言うべき政策を実施します。
貨幣廃止、宗教の禁止、学校の廃止、病院の廃止
国民は共同農業に所属され、共同農場での収穫や財産は全て国のものとなります。
家族と言うまとまりは解体、子供たちは5~6歳くらいで親から引き離され「国家の子供」として教育を受けるのです。
恋愛は認められず、党が決めた相手と結婚して子供を産むことを強制されました。
逆らうものは「反革命」として処刑されました。

[7]知識人の大虐殺
ポルポト政権の最大の特徴が「知識人敵視政策」
中学を卒業した者、字を書ける者、本が読める者、眼鏡をかけている者
たったこれだけの理由で「知識人」として処刑の対象となるのです。

知識人を見つける為にトリックを使い
「子供たちの学校を開きたいので教師をしていた人は名乗り出てください」と呼びかけ、
手を挙げた人は2度と戻ってくる事はありませんでした。
海外の知識人も処刑の対象で「祖国のために力を貸してほしい」と呼びかけ空港から
帰国後にそのまま連行され、直ちに全員処刑されました。
このような知識人の抹殺政策によりカンボジア国内には読み書きができる国民が
ほとんどいなくなったのです。
「ものごとを知り、自分の頭で考える」事のできる人間は支配の邪魔になる考えたのです。
「肉体労働こそが全ての基本」という素朴な原始共産制の思想が根底にあったのです。
当時の全人口600万人のうち200~300万人が殺されたと言われています。

[8]戦争の爪痕
戦争をしている時に埋めた地雷がカンボジア国内だけで600万個あると言われています。
また不発弾も多く残っており、いまだに多くの犠牲者が絶えません。
普通戦争では地雷をどこに埋めたかを地図に示すのですがカンボジアではそれがなされていません。ほとんど、どこに地雷を埋めてあるかがわからない状態なのです。



この赤いマークは”ここに地雷があります”と言う意味で、この周辺には地雷が埋まっている可能性があります。



地雷除去作業


スリーピースメンバーがカンボジアで出会った地雷被害者の言葉
「100万ドルあげるから残ったもう片方の足で地雷を踏め」と言われたら
迷わず私はそうするだろう。仲間たちも同じだと思う。
地雷被害者は差別で苦しんでおり、仕事もなく物乞いする人も多い。自殺する人もいる。
それほど貧しく生きていくのが大変なのです。



終了後のディスカッション


今回上映した内容は私たちが知らなかった事ばかり
このような事実があった事に目をそむけることなく
知っていかなくてはなりません。
あそして自分たちの子孫に語り継がれていく事で
戦争を少なくしていけるのではないでしょうか?
そんな理想を信じ、スリーピースはこれからも活動を
続けてまいります。




アンコールワット


参考資料
『そうだったのか!現代史』 池上彰


感銘を受けた言葉
『平和は、人類最高の理想なり』
ゲーテ
  


Posted by スリーピース at 22:09Comments(0)DVD上映会

2010年05月30日

2010年5月30日 活動報告



高松市男女共同参画センターでDVD上映会を開催しました。 

上映作品はブラッドダイヤモンド



スクリーン



プロジェクター




上映映像



感想を発表するメンバー



ブラッドダイヤモンド(血に染まるダイヤモンド)

1990年代後半のアフリカ シエラレオネ共和国での激しい内戦を描いた社会派アクション映画

シエラレオネでは政府軍と反政府軍RUFの間で激しい内戦が行われていました。
内戦最中の国から不法に輸出されたダイヤ(紛争ダイヤ)が、反乱軍(RUF)の武器購入費に充てられ、内戦を長引かせる一因になっていました。その紛争ダイヤは密輸業者の手により、先進国へと高額で売られるのです。つまり先進国の人々が豊かさを求めるが故に紛争ダイヤモンドを買う事が、人々の命を奪っていると言う現実があるのです。

先進国ではダイヤは見栄やお飾りでもアフリカでは殺し合いになるのです。

この映画の中では子供たちが、拳銃片手に内戦で戦うシーンも多数収録されており、胸が締め付けられる思いでいっぱいになりました。今でも20万人以上の少年兵がいると言われています。

私たち先進国は豊かさを求めて生きている、その裏側にはたくさんの犠牲がある事を忘れてはなりません。

「紛争を阻止するのは消費者」映画の最後のメッセージ


補足資料

キンバリー・プロセス認証制度
紛争ダイヤモンドの取引きを防ぐための国際認定制度で2003年1月より施行され、輸出入の際に、未加工ダイヤモンドに“紛争に関わりのない”ことの証明を政府に対して求めたもので、70国以上が参加しています。

シエラレオネの平均寿命は41歳(2009年)
※09年に41歳で世界一短命だったシエラレオネは、10年は49歳で平均寿命を延ばした。
 

私たちに戦争や紛争を止める事はできません。
ただ多くの人に、このような世界の現実を話す事は出来ます。
スリーピースは活動を通して、1人でも多くの方に、この現実を訴えいきたいと思います。




感銘を受けた言葉
「戦争は人間の仕業です」
前ローマ法王 ヨハネ・パウロ2世

戦争が人間の仕業なら、平和も人間が作り出すことができる。
そう信じています。
  


Posted by スリーピース at 23:10Comments(0)DVD上映会