2011年06月12日
パレスチナ問題勉強会
ヨルダンのパレスチナ難民キャンプにいる子供たち
今回は、パレスチナ問題について勉強会!!
勉強会の様子1
パレスチナ問題と背景
紀元1世紀にユダヤ王国という国がありました。
しかし、ローマ軍に滅ぼされ、ユダヤ人は世界に
離散していきました。
↓
ユダヤ王国が滅びたあと、この地にはアラブの人々が
住むようになりパレスチナを含むアラブ地方は、
1516年~1917年の400年間オスマントルコが
この地を支配します。
↓
中東での覇権をめざしたイギリス第一次世界大戦で
オスマントルコと戦い、戦争を有利に進めるために
「三枚舌」外交を行います。
①フランスとの間では、戦後の中東を両国で分割する
密約を結び
②アラブ人にはパレスチナを含むアラブ国家の独立を認め
③ユダヤ人に対してもパレスチナでの「民族的郷土」の
建設を支援する約束
しかし、中東はイギリスとフランスの両国が支配し、
パレスチナはイギリスが占領下となります。
↓
19世紀末以降、特にヨーロッパにおける反ユダヤ主義※
の高まりの中、自分たちの国の建国を目指して
パレスチナへの移住を開始します。
これを、シオニズム運動と言います。
また、1930年代以後のナチスによるユダヤ人の迫害が
この移住に拍車をかけます。
600万人のユダヤ人が虐殺されたとも言われています。
※ユダヤ教は強烈な選民思想であり、排他的な思想であり、
イエス・キリスト殺害の張本人であることなどを理由に迫
害を受ける。
↓
パレスチナに住んでいたアラブ人と、郷土に戻ってきた
ユダヤ人との間で対立がおこります。
↓
第二次世界大戦が終わる頃、パレスチナのユダヤ人人口は
60万人に達していました(人口の1/3)。
パレスチナ人とユダヤ人の衝突に手を焼いたイギリスは、
1947年問題解決を国連に委ねます。
同年11月、国連はパレスチナをパレスチナ人とユダヤ人の
国家に分割し、エルサレムを国際管理下におくという
パレスチナ分割決議を採択します。
人口で1/3、土地所有面積で6%弱のユダヤ人に57%の
地域を割り当てる決議をユダヤ人は受入れるが、
アラブ人は拒否。
↓
1947年5月14日、イギリス軍が撤退するとユダヤ人は
当事者間の合意がないまま、イスラエルの建国を宣言
分割決議に反対するアラブ諸国がイスラエルに攻め込み
第一次中東戦争が始まります。
中東戦争は25年にわたり、第1次~第4次まで続いた。
ビジネスに成功して財をなしていたユダヤ人は、
豊富な資金で武器を大量に調達し
いずれの戦争でも勝利する。
戦争の結果、イスラエルは国連の決めたユダヤ人の
領土をはるかに超えて侵略
追い出されたパレスチナ人70万人(100万人とも)が
難民となりました。
↓
「オスロ合意」
1993年9月
イスラエル政府とパレスチナ解放機構(PLO)によって
結ばれた和平への枠組みをとりきめた合意です。
ノルウェーの首都オスロで主に協議されたことから
「オスロ合意」とよばれています。
背景としては、パレスチナ解放機構(PLO)がテロを
闘争手段とするこれまでの路線の転換をおこない、
国際的にも地位が高まる一方、湾岸戦争を機に
中東紛争の解決を求める国際世論が
高まっていました。
また、イスラエル側も87年に始まったパレスチナの
インティファーダ(民衆決起)で、武力による
他民族支配の永久化が不可能なことを悟り始めたのです。

イスラエル・ラビン首相とPLOアラファト議長
↓
イスラエル占領地の中の都市でパレスチナ自治政府が
発足し、自治が始まりました。
西側:ガザ地区 東側:ヨルダン川西岸地区

↓
しかし、イスラエル政府はイスラエル側から
パレスチナ自治区内にユダヤ人が移住させる
政策をとります。

↓
60年たった今でも、この問題は解決していない
勉強会の様子2
補足情報
①宗教
イスラエル:ユダヤ教
パレスチナ:イスラム教
②エルサレム
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地はともにエルサレム
エルサレムはイスラエルが占領したが、国際管理都市のため
イスラエルの一部とは認められていない。
③パレスチナ内でも考え方が2分している。
ハマス:イスラエルの存在を認めない
ファタハ:イスラエルとの和平
④仕事
パレスチナ側ではほとんど仕事がなく、
イスラエルに出稼ぎに出る労働者が多くいます。
イスラエルの法律では30歳以上でないと
イスラエルで働くことができないのです。
⑤ユダヤ人の財力の背景
ヨーロッパにおける反ユダヤ主義で差別を受け、
まともな職につけないと言う状況にありました。
そこで、金貸し業を始め、ビジネスを大成功させたのです。
ユダヤ系企業と言われている大企業も多くあります。
ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー
メリルリンチ、シティ・バンク
クレディ・スイス(スイス)、J・P・モルガン
エクソンモービル、ボーイング、P&G
GE、GM等々
最後に印象に残った言葉を紹介します。
何よりも知っていただきたいのは、今日みなさんが会った
人々が抱えているのは「貧しいから助けてほしい」という
問題ではないということです。
大量の援助物資を持っていっても、それは1日もすれば
なくなります。解決しなくてはならないのは、
明日の食料の問題よりも、故郷を追われた人たちが
故郷に帰れずに苦しい環境にある、それに対して
国際社会がなすすべをもっていないという
構造そのものなのです。
難民キャンプを訪れると、みなさんはよく
「私に何ができますか?」と聞きます。
日本人として、イスラエルパレスチナ情勢に変化を
起こそうとするのはたいへんなことです。
ですから、みなさん自身に変化の担い手になって
ほしいとは言いません。
僕たちに必要なのはほんの少しのチャリティーよりも、
政治構造の変化なのです。
僕は、ヒロシマ・ナガサキがあった第二次世界大戦後に
素晴らしい復興を果たした日本のみなさんがとても好きです。
アメリカの一部を抜け出して、もう一度自分の国を
つくってください。幸い、日本には憲法9条もあります。
戦争をしない、戦争に協力しない平和な国のモデルとして、
平和立国してほしいと思います。
日本が大好きなアラブ人は僕だけではありません。
みなさんひとりひとり、それぞれに考えて、
平和な世界のためにできることをしてください。
パレスチナを知ろうとここまで来てくださって
ありがとうございました。
これからもパレスチナ人と日本人の友好が続きますように。
自分たちができること、それは一人でも多くの方に
このような現実が、今もなお起こっていると言う事を
語っていくことです。
それしか出来ませんが、それがとても大事なことなのです。
よーし語って語って語りまくるぞー!!
参加メンバーの皆さまお疲れ様でした



2011年05月22日
2011年5月21日 活動報告
なでしこ香川さんにボランティアに行ってきました!!!
久々の清掃活動だったので、力が入ります

ピカピカにするぞ

車いす掃除
トイレ掃除
床みがき
今回は車いす掃除が多かったですね

全部で20台の車いすがピカピカに

掃除をした後の車いす
参加メンバーの皆さまお疲れ様でした<(_ _)>
次回もよろしくお願いいたします

感銘を受けた言葉
ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない
寺山修司(小説家、作詞家)
夢は自分の未来にある。
だからこそ、後ろ(過去)にはない
さあ、前を向いて夢をかなる自分を創造してきましょう!!
2011年05月08日
2011年5月7日 沙弥島清掃

沙弥島の清掃活動に行ってきました!!
見てくださいこの奇麗な海

しかし、残念ながら砂浜はゴミで埋め尽くされています

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
今回はスリーピースメンバー以外の方にも、
ご参加いただき総勢7名で清掃活動スタート

清掃風景1
清掃風景2
清掃風景3
清掃風景4
約1時間30分の作業で、用意した20袋のゴミ袋全てが
一杯に

清掃活動終了後は、参加者みんなで
おにぎり


参加いただいた皆様お疲れ様でした

お陰さまで、多くのゴミを片付ける事が
出来ました<(_ _)>
ただ、ご覧頂いたと思いますが
今回で3回目の清掃活動になりますが、
まだま片付きません。
これからも定期的に、清掃をして行きたいと思いますので
次回も是非とも参加してください

感銘を受けた言葉
『未来は今の積み重ね』
素晴らしい未来を望むには、今の努力が欠かせない
その努力こそが、未来の自分を切り開いていくんですね

2011年04月24日
2011年4月24日 清掃活動in香川大学

今回は、香川大学の学生と一緒に、香川大学周辺の
清掃活動に参加してきました

清掃1
清掃2
普段は、なかなか大学生との交流は出来ませんからね
今回は良い機会となりました

清掃3
清掃4
清掃5
この日は、強い風も吹く天気で、集めた落ち葉が

それでも、学生さんとの清掃活動は、とっても楽しかった

年に2回開催されるそうなので、また参加させていただきます

感銘を受けた言葉
「きっとこの世界の共通言語は、
英語じゃなくて笑顔だと思う」
楽曲 福笑い
作詞・作曲 高橋優
2011年04月16日
2011年4月16日ウクレレ・ピアニカ演奏会inなでしこ香川
今回のボランティアは、なでしこ香川さんで、
サト&エミさんによるウクレレ・ピアニカ演奏会

2階・3階の各フロアーをまわり
・故郷
・あおげばとおとし
・蛍の光
・送る言葉
・ドラえもん
・鉄腕アトム
・カントリーロード
・上を向いて歩こう
を演奏しました♪
演奏1
演奏2
演奏3
演奏4
一緒に手拍子したり、一緒に歌ったりと、楽しい時間を
過ごすことが出来ました

入居者の皆さんも、とっても喜んでいただき、中には
「ありがとう」と涙ながらに感謝の言葉をかけてくれた方も
いらっしゃいました。
ここまで喜んでいただけるとは、もう感無量です

入居者の皆様に元気になっていただこうと、
今回のイベントを計画したのですが、気がつくと、
私たちの方もたくさんの元気をもらっていた気がします。
「ボランティアしていて本当に良かったな」って
心の底から思う事が出来た一日となりました



サトさん、エミさんに本当にありがとうございました☆彡
また、定期的に演奏会をしていきたいと思いますので
今後とも、よろしくお願いいたします<(_ _)>
感銘を受けた言葉
「明日があるさ」
作詞:青島幸男 作曲:中村八大
歌:坂本九
私たちには明日がある
生きているからこそ明日が来る
どんなにつらい事があっても明日が来る
明けない夜はないんだから
だから、くよくよせずに明日は頑張ろう
生きている事、それこそが幸せなんだから
「東北地方太平洋沖地震」におきまして、
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
スリーピースメンバー一同
2011年03月13日
2011年3月13日 活動報告
3月11日に発生した東日本大地震を、支援する為に
セカンドハンドさんにご協力いただき高松駅で募金活動を行いました。
募金活動1
募金活動2
募金活動3
たくさんの方からの温かいご支援をいただき
多くの支援金が集まりました。
15時~17時の間で集まった支援金は約14万円
この支援金はセカンドハンドさんから、日本赤十字社へ寄付をいたします。
※正式な金額は、後日、別途ご報告をさせていただきます。
募金をしていただいた皆様、本当にありがとうございました。
今もなお東北や北海道南部は大変な状況が続いております。
住民の方のご無事と、一日も早い復旧を心よりお祈りしております。
感銘を受けた言葉
「希望は人を成功に導く信仰である
希望がなければ何事も成就しない」
ヘレンケラー
2011年01月30日
2011年1月30日 農業ボランティア
メダカの学校さんに農業ボランティアに行ってきました!!
今日はメチャクチャ寒かった

途中、雪がちらつく中での作業でした

まずは、ジャガイモを植えるために肥料散布

肥料運び
肥料散布①
肥料散布②
肥料と土をトラクターで撹拌
畑の溝つくり
次は玉ねぎの雑草抜き

雑草抜き①
雑草抜き②
最後は大豆を鞘(さや)から取りだす作業

鞘から取り出し作業①
鞘から取り出し作業②
こんなに多くの大豆が取れました!
豆知識

大豆の成長途中の未熟な時が枝豆って知ってましたか

枝豆を収穫しないで、そのままにしておくことで大豆へと
成長していくんですよ

感銘を受けた言葉
『愚かなりとも、努力を続ける者が
最後の勝利者になる』
人見絹枝(陸上競技選手 1907-1931)
2011年01月29日
2011年01月23日
2011年1月22日 活動報告
新年初めの活動は定例なでしこ香川さんの
お手伝いからスタート

まずはトイレ掃除
トイレ掃除①
トイレ掃除②
トイレ掃除③
トイレ掃除④
次は床掃除
床掃除
職員の方はご多忙で床拭きまでは、
なかなか手が届かないようでした。
私たちがピカピカにしておきました

最後は各部屋の掃除
部屋掃除①
部屋掃除②
部屋掃除③
ここ最近、仕事が忙しく、肉体的にも精神的にも
疲れていたのですがこうやって、ボランティア活動を通して
入居者さんの方たちとふれあう事で、
逆に私たちは元気をいただく事が出来ました。
ボランティアっていいものですね


参加メンバーの皆さまお疲れ様でした



感銘を受けた言葉
『人生とは自分探しではない
自分を創造することだ』
ジョージ・バーナード・ショー
2011年01月01日
2011年1月1日 謹賀新年

謹賀新年
スリーピースブログをいつもご覧いただいている皆様
新年あけましておめでとうございます
旧年中はお世話をいただき誠にありがとうございました
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます
各メンバーの今年の抱負
K.Mさん
『多くの人との和を広げる年』
スリーピースの活動を通して、ひとりでも多くの人の
思いを変えることで、社会を変えることができればと思います。
「人を変えること」が「社会を変えること」
H.Sさん
『二兎追うものは二兎得る年』
仕事もプライベートも含めて自分の願望には
貪欲に食らいつくつもりです
欲しいものは全て手に入れる
夢や希望の無い人が、
「あぁ、あんな生き方いいなぁ僕も何かがんばろう」
と思えるような生き方、人柄を身につけたいです
M.Hさん
『前進の年』
2010年は、子どもの多様性が認められて
かつグリーンな保育園を作るという夢を見つけた年でした
2011年はその夢に向けて経験を積む第一歩の年
にしたいと思います
今、一番気になっている、モンテッソーリ教育を実践している
保育園で保育を学びたいと思っています
*モンテッソーリ教育
子どもが自ら持っている育ちの力を邪魔しない教育方法
100年以上前に、イタリアの女医、モンテッソーリが
完成させました
モンテッソーリは
「子どもの中にこそ、世界平和を想像し、維持するエネルギーが宿っている」
「子どもが居場所を得て環境を愛することが平和につながる」
と言っています
K.Nさん
『前にでる年』
プライベートやボランティア活動などで
ついて行くだけではなく、自分から発進する
主体性を持って行動する
T.Tさん
『健康の年』
仕事が忙しいからと言い訳することなく
日々の健康を意識して、体力作りとダイエットを
テーマに行動していく
H.H
『鍛錬の年』
私には夢があります。
そんな夢への第一歩としてスタートを切るのは
2012年春の予定ですが
2011年は、そのスタートを切る前に、
自分を高め成長させるための
年にしたいと考えております。
具体的には2011年中に夢に関連する資格を
2つ以上取得する!!
今後のスリーピースの活躍に乞う!ご期待!
さあ、2011年がいよいよスタートしました!!
皆さまの今年1年が、素晴らしい1年になりますよう
心からお祈りしております<(_ _)>
感銘を受けた言葉
『幸福とは心の状態を言う
物事をどう見るかだ
幸福とは満足することだと思っているが
これは金持ちであることを
意味してはいない』
ウォルト・ディズニー
2010年12月19日
2010年12月18日 農業体験
メダカ農法で作られた野菜収穫のお手伝いに
行ってきました!!
メダカ自然農法
食物アレルギーの方でも食べられる野菜作り
最近、食育、食の安全・安心・食物アレルギー等という言葉をよく耳にしますが、
本当の食の安全とは何でしょうか。
人は食により生かされているといっても過言ではないのです。
それなのに、食すことによって病におかされてり、アレルギーをおこしたりということがよくあります。
ですから、アレルギーの方は除去食しか食べる事ができなくなり、大豆、玄米、卵等が
たべられなくなっています。
悪い食べものを食べないと考えると、本当に細胞の喜ぶものを手に入れることは困難な時代です。
たとえば形が一緒でも食べるとアレルギーをおこすものもありはたして見分けがつくでしょうか
疑問です。
スーパーで買うことが出来ないのなら自身で作物を安全に作る、
それが一番安全・安心ではないでしょうか。
そして地産地消、採りたてをすぐ食べることにより防腐剤や殺虫剤を使わなくてすみます。
そんな考えの元、簡単に健康で美味しい野菜を栽培することのできる農法が、
メダカ自然農法です。
※メダカ自然農法 心根~こころね~より
http://blog.goo.ne.jp/kokoronemedaka/
ジャガイモ&里芋掘りからスタート!!
ジャーン、収穫したばかりのジャガイモ達です(^O^)
次はトラクターの運転だ

トラクターの運転は実際にやってみると本当に楽しい

終わるころには、もう操作はお手の物

ちょっとbreak time

大豆の収穫作業
こんな野菜も作っています

カリフラワー
ムラサキ色のカリフラワー
えっ

普段の生活だけでは体験できない事ばかり
野菜を収穫する作業を通して、当たり前のように食べている
食べ物は色んな人の苦労があってこその食べ物なんだなって
本当に感謝感謝です(^◇^)
篠池さんへ
こんなど素人の私たちに一から色々と教えていただき
ありがとうございました<(_ _)>
とっても貴重な体験ができました。
これからもお手伝いをさせていただければと
思っておりますのでどうぞ、よろしくお願いいたします。
また、お土産もたくさん本当にありがとうございました



感銘を受けた言葉
『成功する人は、敵の少ない人ではない
味方の多い人だ』
2010年12月06日
2010年12月5日 DVD上映会
今回の上映作品
『ダーウィンの悪夢』(Darwin's Nightmare)
舞台はアフリカにあるタンザニア
そのタンザニアにあるビクトリア湖には、かつてナイルパーチと
言う外来種の巨大魚(肉食魚)は生息していなかった。
ある時、誰かがバケツ一杯のナイルパーチをビクトリア湖に
離したのです。
ナイルパーチは、そこに生息していた魚を食べ、増殖し、
生態系を崩していく
物語はこれで終わらない
このナイルパーチは思わぬ経済効果をもたらすのです。
ナイルパーチは食用として重宝されるようになり、
現地工場で加工し、EUや日本などの先進国に
空輸で大量輸出されるようになるのです。
一日最低500トンのナイルパーチを水揚げし
毎日200万人の白人がこの白身魚を食べている
ビクトリア湖周辺ではナイルパーチが
雇用、金、食料を生み出す構造となっているのです。
しかし、その経済的な恩恵は一部の人間しか受ける事が
できない
ナイルパーチの身の部分は高額な為、輸出専用として加工
現地の人が食べられるのは、頭と骨のみ
1日1ドル以下で生活をしている人がほとんどの状況
子供たちは、まともな教育を受ける事ができず
食料をめぐって殴り合いのケンカ
不安や恐怖から逃げるため、プラスチックフィルムを溶かした
液体の匂いを鼻から吸い込む事により現実逃避
(麻薬のような効果)
また、ビクトリア湖周辺の漁師たちの村にはエイズが満盈
(まんえい)
その村に来る女性たちは、ほとんどが売春婦
漁師の夫は売春婦を買い、エイズにかかり亡くなっていく
↓
残された妻は、食べて行く為に売春婦となる
↓
さらにエイズにかかる漁師が増加
先進国へ空輸でナイルパーチを輸出するのですが
先進国から飛んでくる飛行機には武器や弾薬が積まれており
その武器や弾薬は、アフリカ諸国に密輸されているのです。
つまり先進国からすればビジネスとなっているのです。
ある施設の守衛を務める、ガードマンにこう言う質問を
しました。
Q.戦争に行きたいですか?
『戦争に行きたい』
更に男性は続けて、こう言いました。
『政府は兵士には高額な給料を払う、人々は戦争を
望んでいる、戦争は怖くない』
このように、この映画には、繁殖したナイルパーチを通して
グローバル経済の引き起こす様々な問題や実際に
起こっている現実が描かれております。
上映会終了後は各自が感想を語り合う
「先進国の人々が豊かな生活をする為に、新興国の人々が
くるしんでいるそんな皮肉さを感じた」
「環境・社会問題・貧困などが全て繋がっていると感じた。
環境とこう言った問題は切っても切り離せない問題なんだなって」
「魚を持って帰る事が目的なのか、それとも武器や弾薬を
持ってくる事が目的なのか」
「武器が目的ではないか
武器を密輸する事が本音、魚を持って帰る事は建前」
「いや、両方じゃないんですか」
「日本にいたら、周りの国の事を知らなくても、関わらなくても
生きていけるけど、もっと日本の人たちに知ってほしいと
言うか、知ろうとして欲しい」
「さっきガードマンの男性が戦争に行きたいって
言ってたじゃないですか、それって、
今のこの状況がいいって感じているってことなのかな?」
「それは戦争があって、その戦争が儲かると言う状況が
あるところで生きているから、そう思うだけで、
あの男性がもし日本に来て、チャンスがもらえて、
普通に仕事ができて働いてお金が得られる社会だったら
戦争に行きたいって言わないと思います」
「仕事もない、お金もない、食料もない、不衛生な状態で
生活していて、それが本当に幸せなのか?
自分は違うんじゃないかなって、現地の人たちは
どう思っているかは分からないけど...
自分たちに、もっと出来る事あるんじゃないか」
「でも、外から変えても本当の意味では
変わらないのではないか?」
「確かに、先進国の人たちだけが潤うような関わり方を
したら、なにも変わらないと思うけど、
大事なのは、どうやったらこの国はよくなるのかを考えて
前向きに関わっていくことが大切じゃないですか」
「それに関わらないって言っても、自分たちが知らないうちに
関わっていますからね、名前もわからない白身魚を口に
しているんですから」
「そうだな、物事は良い方に考えていかないと、
悪い方の事ばかり考えていても一歩も前に進まないな」
「自分たちが関わっていくなかで、
現地の人たちが変わらないと思っていたら本当に変わらない
本当に変えられると思えば、人は変われると思うだよね、
違うかな」
「今日、このような映画をみて、これが貧困かって
思ったんですよ」
「こう言う現状をたくさんの人に知ってもらうって言う活動を
していけたらと思いました」
「自分もそう思います。
結局、自分たちが今できる事って考えたら、
なかなか現地に行って
何かをするって言うのは難しと思うんですけど、
今回のようなDVD上映会に色んな人に来てもらって、
一緒に見てもらう事で、まずはこの世界の現状を
知ってもらう事、それが一番最初だと思うんです」
「日本人の方が、そう言った現状を知らないのであれば、
1人でも多くの人に知ってもらう活動をしていって
色んな人がドンドン集まっていけば、
こうしよう、ああししようって、議論できると思うんですよ
ですから、まずは知ってもらうってことからではないかと
私は思います」
参加されたメンバーの皆さま長々とお疲れ様でした(^O^)/
今後もこう言った活動を続けて行きましょう!!
感銘を受けた言葉
幸福になりたいのなら、まず、
人を喜ばせることからはじめなさい
プリオール
2010年11月23日
2010年11月23日 沙弥島(しゃみじま)清掃
沙弥島(しゃみじま)の清掃活動に行ってきました!!!
ゴミ拾い
ペットボトルを潰して袋の中に
ペットボトル 3袋
ペットボトルキャップ 1袋
プラスチック包装 2袋
可燃ゴミ 1袋
破損ゴミ 1袋
多くのゴミを収集する事ができました!!
参加メンバーの皆さまお疲れ様でした<(_ _)>
しかし
このように、見渡す限りゴミだらけ
まだまだ、多くのゴミが残っています。
今後も定期的に清掃活動を行ってまいります



感銘を受けた言葉
人の気持ちはそれが言葉になると
ただ空しく失われてしまう。
どんな気持ちでも行動に、しかも結果を
生む行動に移さなければならない。
フローレンス・ナイチンゲール
2010年11月13日
2010年11月13日 清掃活動in早明浦ダム
高松市水道局が主催する早明浦ダムの清掃活動に
参加してきました!!
早明浦ダム1
早明浦ダム2
私たちが担当したのは、道路上にある落ち葉の除去作業
清掃活動スタート

早明浦ダム周辺はとても気温が低く

肌寒い中での清掃でしたが動いて行くうちに
体が温まり、汗をかくくらいでした(^^ゞ
きれいな紅葉

大自然の中で昼食タイム

ひと仕事終えた後の昼食は、もう最高

空気もウマいし、弁当もウマい

なんか生きてる!!って感じでしたね

早明浦ダム3
早明浦ダム4
参加されたメンバーの皆さまお疲れ様でした<(_ _)>
感銘を受けた言葉
『人生に絶望なし』 ヘレン・ケラー
2010年10月23日
ご報告
10月10日に開催されました、なでしこ祭りでのチャリティーバザー収益金について報告いたします。

バザーでの収益金は全額、カンボジアの子供たちの奨学金として使われます。
ご協力ありがとうございました<(_ _)>

バザーでの収益金は全額、カンボジアの子供たちの奨学金として使われます。
ご協力ありがとうございました<(_ _)>
2010年10月17日
2010年10月17日 クリーンキャンペーンin香川
コスモアースコンシャスアクト クリーンキャンペーンin香川に
参加してきました

素晴らしい天候に恵まれ多くの人が清掃活動に
参加されました

清掃1
清掃2
清掃3
清掃4
お菓子の袋、飲み物の缶・ビン、生活用品 大きいものでは
テレビ、タイヤなどなど、多くのゴミを回収しました。
清掃の後はお楽しみのリンゴ狩り


リンゴ狩り1
リンゴ狩り2
リンゴ狩り3
とっても甘くておいしいリンゴでした

イベント終了後には、芝生の上でみんなで昼食タイム

素晴らしい景色の中で食べる昼食は最高!!
ご馳走様でした!!
明日はきっと筋肉痛だ...

感銘を受けた言葉
『このままじゃダメなことわかってた
「このまま」を今 終わらせよう』
平井堅 Precious Junk
2010年10月11日
2010年10月10日 なでしこ祭り
この日は年に一度のなでしこ祭り

私たちはボランティアで参加させていただきました!!
準備風景1
準備風景2
準備風景3
準備風景4
慣れないテントの準備にてんてこ舞い(^^ゞ
でもどうにか準備完了!!
ディスプレイ完成
館内ではイベントを開催
開会式
舞踊
親子合唱
ハワイアンダンス
楽器演奏
健康体操
キッズダンス
桜井高校吹奏楽部による演奏
よさこい
屋外でパントマイム
今回のバザーは小指会(セカンドハンド学生部)のメンバーを
中心に運営いただきました。
バザーの売上は小指会を通してカンボジアプノンペン郊外の
セン・ソック地区で経済的に苦しい立場にある学生のための
奨学金として使われます。
http://2nd-hand.main.jp/
小指会の皆さまありがとうございました<(_ _)>
ここ連日、天気が崩れる日が続いて心配しておりましたが
この日は素晴らしい秋晴れ

でも、作業をしていると汗をかくくらいの暑さでイベント終了後は疲労困憊でした

参加メンバーの皆さま本当にお疲れ様でした!!
感銘を受けた言葉
『もしあなたがいい人生を生きたければ、人の人生をよくしてあげなさい』
2010年09月18日
2010年9月18日 活動報告
今回は定例なでしこ香川さんのお手伝いです!!
リビングの掃除機かけ
リビングの拭き掃除
車イスのメンテナンス
各部屋のベットまわりふきあげ
各部屋の床拭き1
各部屋の床拭き2
各部屋の洗面台掃除1
各部屋に洗面台掃除2
季節はもう秋
それでも動くと汗をかきますね(^^ゞ
参加したメンバーの皆さまお疲れ様でした<(_ _)>
作業終了後は、前回のDVD上映会の振り返りと
参加できなかったメンバーは改めてカンボジアについての
勉強会を実施しました
カンボジアに行った事のあるメンバーが
カンボジアの人に、このような質問をしたそうです
「カンボジアの人たちは私たち日本人に何を
求めているんですか?」
返ってきた答えは「お金」だそうです。
貧しさうえの回答だと思います。
あまりの貧しさに地雷を解体して
そこから金属を取り出し、売る人もいるそうです。
もちろん知識がないので地雷解体で負傷する人もいます。
それでも貧しさから脱する為に背に腹が替えられない
状態なのです。
日本人を見ると物乞いをする子供ばかり
お金を渡してはいけないと言われているが
明日食べるものもないかも知れないと考えると
お金をあげたいと言う気持ちになってしまいます。
お金をあげる事が本当にカンボジアの為になるのでしょうか?
現地で働いている日本人の方から聞いた話では
カンボジア人は支援される事が当たり前になっており
支援される事に甘えてしまっているそうです。
お金で支援をする事
それ自体も大切なことでもありますし
お金がないとなにも出来ません。
しかし、もっと大切な事はカンボジアの人々が自立する事
川に橋を造るのではなく、橋の造り方を教えてあげる
家を建てるのではなく、建て方を教えてあげる
それが大切ではないでしょうか?
国を造るのはカンボジア人自身
諸外国からの支援はあくまでも国造りのお手伝いで
なければならないのではないでしょうか?
感銘を受けた言葉
『人は原因ではなく目的によって行動する 過去ではなく未来のために行動する』
アドラー
2010年09月05日
2010年9月4日 DVD上映会
第2回スリーピースDVD上映会を男女共同参画センターで開催しました



今回の上映作品

『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の米国映画。ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。
カンボジア人助手のプランを演じたハイン・S・ニョールはカンボジア出身の医師で、実際に4年の間、クメール・ルージュの元で強制労働に就かされた経験を持つ。演技は素人であったが、この作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。
上映前の説明
背景とあらすじ
[1]ベトナム戦争
第二次世界大戦の終了した1945年9月、それまでフランスの植民地だったベトナムは、ベトナム民主共和国の独立を宣言しました。しかし、フランスはこの独立を認めないために、翌年ベトナム南部にコーシチナ共和国を樹立。両者は対立し、1953年まで7年間の戦争が始まりました。(第一次インドシナ戦争)
西側:コーシチナ共和国 それを支援(操る)フランス、それをバックアップするアメリカ
東側:ベトナム民主共和国 支援するソ連、中国
1954年、フランス軍の要塞ディエンビエンフーが陥落し、ジュネーブで停戦協定が結ばれ、第一次インドシナ戦争が終結。
南北ベトナムは北緯17度線で分断され、社会主義の北ベトナム(ベトナム民主共和国:首都ハノイ)と南ベトナム共和国(首都:サイゴン=現在のホーチミン)という2つの国が生まれた。
北は共産圏諸国から、南は西側(主にアメリカ)から援助を受けます。
1963年に南ベトナムの政権はクーデターで崩壊します。でも、アメリカはそこを付け込まれて、ベトナム全土が共産化するのを恐れました。「ドミノ理論」と言って、ベトナムが共産化すればアジア中が共産化する流れができる、だからベトナムを死守せねば、という理屈で。
1964年、アメリカは南ベトナムの共産化を防ぐとして、とうとう本格的な軍事介入を始めます。
これがベトナム戦争です。
南ベトナム、アメリカ、韓国、中華民国、オーストラリア、フィリピン
タイ、ニュージーランド、クメール共和国、ラオス王国
VS
北ベトナム、南ベトナム解放民族戦線、民主カンプチア、パテート・ラーオ
ソビエト連邦、中国、北朝鮮
[2]カンボジアの中立政策
当時の国家元首だったシアヌーク殿下は東西冷戦の中ではどちらのも属さず
中立政策をとっていました。
ベトナム戦争中に南ベトナムでアメリカ軍に追われた南ベトナム解放民族戦線がカンボジア領内に逃げ込むのを認めながら、その一方で北ベトナムが軍事物資をカンボジア国内の港で荷揚げし、カンボジア国内を通って南ベトナムで戦闘中の南ベトナム解放民族戦線に届ける事を認めたのです。
[3]アメリカによるクーデター
ベトナム戦争を戦っていたアメリカは、このシアヌーク殿下の方針を気に入りませんでした。
ベトナム国内でいくら南ベトナム解放民族戦線を追い詰めても、第3国であるカンボジアの領内に逃げ込むと手が出せないからです。つまり「聖域」になっていたのです。
このためアメリカのCIA(アメリカ中央情報局)は、カンボジア政府軍の幹部をそそのかしクーデターを起こさせます。
1970年、シアヌーク殿下がモスクワ訪問中にロン・ノル首相がクーデターを起こしたのです。
ロン・ノル政権は早速、アメリカと共同でカンボジア領内にいる北ベトナム軍、南ベトナム解放民族戦線に攻撃を開始したのです。
[4]カンボジア国内内戦激化
祖国を追われたシアヌーク殿下は中国政府の全面支援を得て北京に住み、ここで、それまでカンボジア国内で自らを弾圧してきたカンボジア共産党と共闘して反ロン・ノル統一戦線「カンプチア民族統一戦線」を結成したのです。
カンボジアの農村地帯でのシアヌーク殿下の人気は高く、反ロン・ノルのゲリラ活動は農民の支持を得て国内で勢力を伸ばしていきます。この時の活動の中心になっていたのは、ポル・ポト指揮するカンボジア共産党とそれを支援する北ベトナム兵でした。
1975年4月17日「カンプチア民族統一戦線」の軍隊はカンボジア首都プノンペンに突入しロン・ノル政権を崩壊させました。
[5]ポルポト政権誕生
「これで内戦が終わる」と喜んだ市民はポル・ポト率いる軍隊を歓迎します。
しかし翌日から市民たちの運命は暗転するのです。プノンペン市民200万人は1人残らず市外に追い出されます。入院している病人だろうと、高齢者だろうと、幼児だろうと一切の例外は認めず反抗するとその場で殺されました。
ポル・ポトとその仲間たちにとって都市の住民は敵でした。
自分たちが農村で戦っていたのに対して、プノンペン市民は戦場から逃げ出し、都市でのうのうと暮らしていた事が許せなかったのです。またポル・ポトは200万人の市民を農村で新たな農業労働力として利用しようとも考えていたのです。

ポルポト
[6]原始共産制
政権を握ったポル・ポトは、原始共産制とも言うべき政策を実施します。
貨幣廃止、宗教の禁止、学校の廃止、病院の廃止
国民は共同農業に所属され、共同農場での収穫や財産は全て国のものとなります。
家族と言うまとまりは解体、子供たちは5~6歳くらいで親から引き離され「国家の子供」として教育を受けるのです。
恋愛は認められず、党が決めた相手と結婚して子供を産むことを強制されました。
逆らうものは「反革命」として処刑されました。
[7]知識人の大虐殺
ポルポト政権の最大の特徴が「知識人敵視政策」
中学を卒業した者、字を書ける者、本が読める者、眼鏡をかけている者
たったこれだけの理由で「知識人」として処刑の対象となるのです。
知識人を見つける為にトリックを使い
「子供たちの学校を開きたいので教師をしていた人は名乗り出てください」と呼びかけ、
手を挙げた人は2度と戻ってくる事はありませんでした。
海外の知識人も処刑の対象で「祖国のために力を貸してほしい」と呼びかけ空港から
帰国後にそのまま連行され、直ちに全員処刑されました。
このような知識人の抹殺政策によりカンボジア国内には読み書きができる国民が
ほとんどいなくなったのです。
「ものごとを知り、自分の頭で考える」事のできる人間は支配の邪魔になる考えたのです。
「肉体労働こそが全ての基本」という素朴な原始共産制の思想が根底にあったのです。
当時の全人口600万人のうち200~300万人が殺されたと言われています。
[8]戦争の爪痕
戦争をしている時に埋めた地雷がカンボジア国内だけで600万個あると言われています。
また不発弾も多く残っており、いまだに多くの犠牲者が絶えません。
普通戦争では地雷をどこに埋めたかを地図に示すのですがカンボジアではそれがなされていません。ほとんど、どこに地雷を埋めてあるかがわからない状態なのです。
この赤いマークは”ここに地雷があります”と言う意味で、この周辺には地雷が埋まっている可能性があります。

地雷除去作業
スリーピースメンバーがカンボジアで出会った地雷被害者の言葉
「100万ドルあげるから残ったもう片方の足で地雷を踏め」と言われたら
迷わず私はそうするだろう。仲間たちも同じだと思う。
地雷被害者は差別で苦しんでおり、仕事もなく物乞いする人も多い。自殺する人もいる。
それほど貧しく生きていくのが大変なのです。
終了後のディスカッション
今回上映した内容は私たちが知らなかった事ばかり
このような事実があった事に目をそむけることなく
知っていかなくてはなりません。
あそして自分たちの子孫に語り継がれていく事で
戦争を少なくしていけるのではないでしょうか?
そんな理想を信じ、スリーピースはこれからも活動を
続けてまいります。
アンコールワット
参考資料
『そうだったのか!現代史』 池上彰
感銘を受けた言葉
『平和は、人類最高の理想なり』
ゲーテ
2010年08月21日
2010年8月21日 活動報告
定例のなでしこ香川さんのお手伝いに行ってきました!!
ポータブルトイレの清掃
車イスの掃除
オセロ対決
洗面台の清掃
ベットまわりのふきあげ
各部屋のはき掃除
いやー今日も暑かったー(^^ゞ
作業が終わった頃にはシャツが汗でビショビショでした

参加したメンバーの皆さまお疲れ様でした<(_ _)>
感銘を受けた言葉
『努力をしても結果は出ないかもしれない。
けれど、努力をしなければ結果は出ない』
高校球児